「コイビト記念日」なんてあたしたちにはヤサシすぎると思わない?
甘く馨る繊細な砂糖菓子のようなそれではなくて、カカオの苦みに顔を顰める、まるでビターチョコレイトのような―――――


カタチが欲しい、と思うようになったのはほんの最近のことだった。
先週、久々に母ミリアと昼食を摂った時に、彼女の口からからふと零れた父マックスとの馴れ初めについての話題に興味を持ったからだ。ミリアはマックスとのそういった過去の恋愛話を今までミレーヌに聞かせたことがあまりなかった。それは正直なところ、娘に若かりしころの恋愛事を話して聞かせるのが照れくさい、というのがあったのだろうが、ミレーヌからしてみればそれはおおいに感心をそそるものであった。ミリアとマックスの異星人間での星間結婚は、今では銀河中の歴史の教科書に記載されるほどの重要事項となっており、またその大まかな軌跡について周りの者から度々聞かされることはあったのだが、ミレーヌ自身、それをすべて鵜呑みにしている訳ではなかった。実際、銀河一と持てはやされる大恋愛をしておきながら、つい数年程前までは、離婚寸前まで追いやられ、両親の仲は頗る険悪だったではないか。今でこそどうにか復縁したようで、度々二人で食事に出掛けたり、逢引を重ねているようであるが、互いの職業柄、すれ違う生活が多く、今も住居は違えたままだ。だがミリア曰く、少し距離があった方がうまくいくものよね、だそうだ。ミレーヌにはまだ理解ができなかったが、そう彼女に告げた時の母の表情が何故だかとても若々しく、まるで結婚したての蜜月を送る新妻のように幸せそうな笑みであったのを見て妙に納得してしまったのを覚えている。

「初めてマックスと出会ったとき、バルキリーのガラス越しに彼と目が合って・・・身体に雷が落ちるような衝撃を感じたわ。お互い目を離すことが出来なかった…。言葉を交わさなくとも同じ気持ちを感じていたのよ。」
「へぇ・・・ステキじゃない。それがパパとママの馴れ初めってわけね。」
「まあね。でも本当に結婚するなんて思ってもみなかったわよ。初めは互いに憎み合っていた訳だし。これも運命としか言いようがないわね。」
「いいなぁ・・・あたしもそんな運命の出会い、してみたいかも・・・。」
「あら、ミレーヌにはバサラがいるじゃないの。バサラとはどういう出会いだったの。」

ミリアの予想外の台詞に、ミレーヌは思わず口に含んだサンドウィッチを喉に詰まらせてしまう。咳き込み、慌てて水を飲んで落ち着いたところでミレーヌはミリアを恨めしそうに見つめる。

「・・・ママ。あたしとバサラは別にコイビトって訳じゃないわ。・・・多分。それに、アイツとの出逢いはサイアクだったもの。」

ママ達とは違うのよ、と心なしか拗ねたようにそう云うと、ミリアはふぅん、と何やら納得のいかないようすで呟き、手に持ったホットサンドを口へと運んだ。ミレーヌは内心どぎまぎしながらも、それ以上追及されないことにほっと胸を撫で下ろす。母は、時折ミレーヌの内側を見透かすような言葉をミレーヌへと掛ける。それはミレーヌがその時悩んでいる事柄へのアドバイスであったり、叱咤であったり。ミレーヌの嬉しかったり、悲しかったり、そういった感情をさりげなく汲み取って、同調したり時には背反する。そういった母の言葉や態度に反感や照れくささを感じながらも、やっぱり母は偉大ってことかしら、と尊敬の念を抱かずにはいられないのだ。

「じゃあミレーヌ、そろそろ会議だから行くけど…なんかあったらすぐに私の処に来なさい。・・・うまくいくといいわね。」

ミリアはそう言い残してレストランから出て行った。母の凛とした後ろ姿を黙って見送り、ミレーヌはため息をつく。どうやら今回も母には全てお見通しだったようだ。どこまで気づいているのかは分からない。けれど少なくともミレーヌの最近の悩みの種が熱気バサラであることは気づかれているようだ。全く、母親というものは娘の考えなど透けて見えるかのように察しているものなのだろうか。ミレーヌは、ママには敵わないわ、と窓の外に見える母の姿を見つめながらぽつりと呟く。しかしその言葉の端には”ありがとう”という感謝の気持ちを込めて。きっとそんな己の気持ちですら彼女はちゃんと気づいているはずだから。

カタチが欲しかった
ハート型じゃなくたっていいの。丸でも四角でも、三角だっていいわ。
カラフルじゃなくたっていい、セピアでも、モノクロでも関係ないわ。
目に見えないものだって、構わないのに―――――


熱気バサラとの関係は、と尋ねられれば、「同じバンドのメンバー」と答えるよりほかはなかった。だが、熱気バサラと恋仲にあるのか、と聞かれれば、それを否定するのも何やら違うような気がするのだ。彼らはそういう関係だった。
自分がいつから彼のことを想っていたのかはわからない。ただ気づいた時には恐らく好き、だったのだ。少女マンガやメロドラマのお決まりのワンシーンのように、出会ったその場で恋に落ちた訳ではなかったように思う。なにせ彼との出会いはあまり良いものではなかったからだ。だがこうして彼と共に歌い、共に過ごすことによって、初めは自分勝手、自己中心的で何を考えているのか全く分からなかった彼の本当の感情が、少しずつ己の心にも沁み込んでゆく。そして彼もまた、勝手な了見ではあるが、己のことを少なからず気にかけているのだと気付いた。それが彼にとっての「特別なヒト」という意味なのかはわからない。身近な異性、もしくは年の離れた妹のように思っているかもしれない。だがミレーヌは何気なく触れている彼の手が思いの外熱いことを知っている。まっすぐと射抜くように見つめるその琥珀の瞳が、ミレーヌに目を向ける唯その時だけ微かに揺らいでいることや、肩に手を添えてその胸に顔を埋めれば躊躇うように抱きしめてくれることも。そして潤んだ瞳でまっすぐに彼を見上げれば、彼は優しく口づけを落とすのだ。抱きしめてキスをする、それは一般に恋人同士を行う戯れではないか。初めてそうされたとき、ついに彼とコイビト同士になったのではないか、とミレーヌは思った。しかし、実際、次の日になっても、翌週、翌月になっても、そんな兆候も、行動も、発言も一切なかったのだ。ただ彼は彼のままだった。バサラは今までと変わらずミレーヌに接するし、からかったり、文句をつけたりする。それでもどこか変化があったとするならば、その出来事以降、こうした二人きりの夜に、誰もいない練習場や彼の自室でひっそりと口づけをするくらいだろうか。だがミレーヌにはそれだけでは物足りなかった。

手に届いてしまえばもっと欲しくなる。
掴んでしまえば離れがたくなる。
髪を撫でて、手をつないで。それから抱きしめてキスをして、
あたしのこと、好きって、いって?




ねえバサラ、あたしたちに、カタチなんてあるのかな。




「ねぇ。」
「あ?」
「なんで、キスするのよ。」
「なんでってなんだよ。」

いつものように軽く啄ばむようなキスをした後、静まり返った練習場でミレーヌはバサラに問いかける。彼は質問の意図を掴んでいないらしく、心底理解できていない様子で聞き返した。バサラからしてみれば、先程までしていたそれはいつもするソレと何ら変わりないものだった。いつものようにバンド練習を終え、レイとビヒーダは自室へと戻ってゆく。ミレーヌは錆びついたパイプ椅子に腰かけながら上体を曲げ、傍らに立てかけてあるベースギターをケースへと仕舞い戻していた。バサラは彼女の姿をじっと見つめ、その視線に気づいた彼女もまたバサラの方を向く。目が合ったから口づけた。ごく自然に。そう、いつものように、だ。なのに。

「だからぁ、なんでバサラはあたしにキスするの、って聞いてるのよ。」
「だから、なんでそんなこと聞いてんのかって言ってんの。」

それは、とミレーヌは口を噤む。沈黙が、身体を貫くように痛い。
澄み切った黄金の瞳と意思の強い眦がミレーヌを大きく動揺させる。そんな風に見つめられてしまったら目を逸らすことなんて出来やしないとわかっているくせに。

「だって、おかしいじゃないの。どうして。なんでキスなんてするのよ。コイビトでもないのに。何にも云わないクセに。そんなことしたってバサラの考えてることなんてちっともわかんない。あたしがバサラのことスキだって、知ってるくせに。そぉやってあたしのことからかってるんだわ。」


どう伝えればいいのだろう?触れることが出来ているようでその手は空を切るばかりだ。感情を伴わない愛撫なんて空虚だ。物足りないと腕を伸ばしても彼には届いていない。どさくさにまぎれて口にしてしまった己の気持ちだって、全て受け止めてくれないと、同じ大きさで返してくれないと、意味がないのに。泪で目の前の世界がぐにゃりと歪む。泣いたりなんてしたら、また彼を困らせてしまうのに。

「・・・なんで、そうなるわけ?」

泪を浮かべてこうべを垂れるミレーヌを見やってバサラは呆れたようにため息をつく。ぼたぼたと大きな瞳から泪を流す彼女を見下ろし、困ったように頭を掻いた。ミレーヌは、だって、そうじゃない、と鼻をすん、と啜りながら答える。するとバサラは、もう一度大きくため息をついてしゃがみ込み、視線をミレーヌと同じ位置に合わせた。蹲って顔を地面に向けているので、彼女の表情を窺い見ることができない。ただ閑散とした室内にミレーヌのしゃくりあげる声が響くだけだ。バサラは、おい、と声を掛ける。反応はなかった。再び繰り返しても同様だ。そんなやり取りに痺れを切らし、バサラはチ、と舌を鳴らすと、ミレーヌの肩を思い切り掴んで大きく揺する。その衝撃に驚いたミレーヌは咄嗟に顔を上げた。ミレーヌの視界を、バサラの困ったようなそして少し怒ったような表情が占める。ミレーヌはびくりと肩を揺らして目を逸らそうとするが、バサラの手のひらがミレーヌの両頬を包み、顔を動かすことができない。何より彼の、濁りを知らない真直ぐな瞳で射抜かれると、もう駄目だった。ミレーヌは、すき、ばさら、と小さく何度も繰り返しては泪を流す。彼の瞳には情けない顔をした己が映る。そんな己の羞恥に頬は緋みを帯びてゆく。それでもバサラはミレーヌを見据えたままその視線を離してはくれなかった。

「俺がいつそんなこといったよ?」
「え?」
「俺が何にも考えずにお前にこんなことしてるとおもってんの?」
「・・・なに?」
「鈍いな、お前。いい加減気づいたら?」

バサラはニヤリと笑って、ミレーヌの頬を包む両手をそっと引きよせ、そのまま彼女に口づけた。いつもと変わらない口づけ。でも何かが違っていた。唇から伝わる何かがあった。でも言葉はなかった。だがミレーヌには、バサラが、彼が伝えたいことが分かったような気がしたのだ。
鈍感だったのは自分の方かもしれなかった。応えていなかったのは、隠していたのは己の方だった。彼はその言葉をいつも与えてくれていた。声に出さず、そっと唇に乗せて届けてくれていたのに。きっとそれは言葉に表すよりもずっと大きくて、温かくて、優しかったのだ。

「それって、バサラもあたしとおんなじ気持ちって、こと?」

その問いかけに彼は答えない。その代わりに彼女の両頬を解放し、彼女の身体をくるりと回すと、ミレーヌを腕の中にすっぽりと収めた。その沈黙は肯定である、とミレーヌはバサラの性格からそう悟った。言わなくてもわかるだろ、とそう云われているような気がしたのだ。大人しく抱かれていたミレーヌは、やがてそわそわと腕の中でもがき、先程から沈黙を守るバサラへと話し掛ける。

「あたしとバサラって、コイビト同士?」

腕の中で彼を見上げながらミレーヌが訊ねると、好きにすればいいだろ、と答えにならない返答が降ってくる。ミレーヌは、答えになってないわ、と頬を膨らませるが、その所作とは裏腹にバサラの腕に頬を擦りよせる。

あたしはバサラのことが好きで、
バサラもあたしのことがすきみたい。
でもあたしたち、これからもきっとこのままのあたしたちだわ。
だって、あたしに優しいバサラも、バサラに優しいあたしもなんだか変だもの。

ミレーヌは突然くすくすと笑い出す。それを怪訝そうに見つめる彼を尻目に笑い混じりに言葉を紡いだ。

「でもなんだか気味が悪いわ、あたしとバサラがコイビト同士、なんて。」
「はぁ?」
「そんなロマンチックなものじゃないのよ。きっと。・・・まだよくわからないけど。」
「ふぅん、お前がそれでいいならいいんじゃねぇの。」
「ふふ、でも、バサラのことは好きよ。だから今日は・・・。」

コイビトなんてそんな優しい関係、あたしたちには似合わないかも。
もっと強くて、深くて、広くて。曖昧でいい加減で荒削り。
背反しているのにそれでいて向かい合って手を繋いでいるような。
閉じ込められているのにどこまでも自由で、塞がっているようでそこら中穴だらけなのよ。
求めているのにわざと遠ざけて、離れていても自然と惹かれあう。

そんな関係、どんな言葉で表せばいいのかわからない。けど。

決めたの。今日を記念日にするって。
二人の中で何かが変わった日。大好きな人との大切な日。
あたしとバサラにとって、きっと大切な日になるはずだから。






ねえバサラ、あたしたち、どんなカタチをしているのかな。











真っ青に澄み渡る人工の空を見上げてミレーヌは大きく背伸びをする。
景色の綺麗なオープンテラスのあるレストランを選んで正解だった。ここ最近は気象システムのトラブルのせいか、薄暗い空の省エネルギー運行が続いていて、これ程までの快晴を拝むのは随分久しぶりのように思う。ミレーヌはミリアと向かい合わせにテラスのテーブルへと腰掛ける。今日のランチへは珍しく自分から母を誘った。話したいことがあったのだけれど、どうやら母はそれとなく勘付いているようで、ミレーヌに柔らかな笑顔を向けながら半ば確信めいた問いを彼女に掛ける。

「悩み事は解決できたみたいね、ミレーヌ。いい表情をしてるわ。」
「うーん。そうかな。うまくいったのかも。」
「なによそれ。・・・あら?ミレーヌ、あれ、バサラじゃないの?」

するとミリアはふと何かに気づいたように空を見上げ、空を指差して声を上げる。ミレーヌもミリアの指差す方向へと視線を向けた。そこには彼女も見知った真紅のバルキリーが、恐らくこの船団から出ようとしているのだろう、急激に高度を上昇させているのが目に入った。

「バサラ、今度はどこへ行くつもりなの。」
「・・・知ーらないっ。バサラなんて、どっか行っちゃえばいいのよ。」

ミレーヌは、バサラが再び銀河を巡る旅に出たことを悟った。空を翔けるバルキリーに彼の旅立ちの意志を感じ取っていた。彼の行く先は知らなかった。そしていつまたここへ戻ってくるのかも。そもそも今日旅立つなんて聞いていなかったのに。

光る紅から目を離すことができなかった。
それはきらきらと輝いて眩しくて目を開けていられなくなるくらいに。
ホンモノの太陽なんて見たことはないけれど、きっとこんな感じね。
きっとアイツみたいに大きくて、輝いていて、とても熱い。


「バサラのばぁ―――――――か!!!」

とうに彼の姿が見えなくなり、静けさの戻った空に向かってミレーヌは叫ぶ。
早く戻ってきなさいよね、と心なしか寂しそうに呟くと、もう一度彼が旅立ったあとの空を見上げて眩しそうに目を細めた。






もうすぐ、彼と出会って3度目の秋がやって来る。






MACROSS7 15th ANNIVERSARY.






いつものバサミレやないかーーーい/^o^\

最初のミレーヌとミリアの会話のところでミリアが言っているセリフは、ドラマCDからちょっとだけ拝借したものです。いい台詞だ・・・

大体出会ってから3年後くらいを想定しています。ミレーヌももう17歳くらいでしょうか。ガキ扱いされていません笑

三度目の秋、としたのは、私たちがバサラに出会った、というのと被せてあります。 [2009年 10月 02日]