date:2009/03/05
ジャンル:バサミレ
「レイ、ビヒーダ、今までお世話になりました!さ・よ・な・らっ!」
ミレーヌの怒声が、アクショの廃墟に響き渡っていたかとおもうと、その言葉を境に静まり返る。ミレーヌは己のベースギターを少し乱暴にハードケースへとしまい込むと、ぱちん、と金具を締めて立ち上がり、ドアの前に立った。振り向いて怒りの因である熱気バサラを、ぎり、とねめつけるが、当の本人はミレーヌと目線を合わせようとはしなかった。ミレーヌはふん、とわざと踵を鳴らし、桜色の長くつやのある髪をなびかせて部屋を出ていった。
「お、おい、ミレーヌ!」
ミレーヌの剣幕に押され、引き留める言葉すら出なかったレイは、彼女のいなくなった部屋で、溜息をつく。呆れたようにバサラの方を見ると、彼はもう我関せず、といった様子で楽譜を見つめ、ギターの弦を弾いている。バサラ、と声を掛けると、ったく、勝手にしろよ、とバサラの呟く声が聞こえた。
「バサラ、さっきのは言い過ぎだったぞ。お前は一人で歌ってるんじゃない。ミレーヌの言い分だって聞くべきだ。」
レイはバサラに少し強めの口調で諭す。バサラはギターを弾く指を止め、レイの方を向くと、幾分か機嫌の悪い口調で言い放つ。
「俺のやり方が気に入らないなら、勝手に抜ければいいだろ。」
改める様子も、罪悪感さえも感じていないバサラに、レイはお手上げとなってしまう。我がバンドのボーカルは、二人して意固地で困る、とレイは誰にともなくそういうと、その件について口に挟むことを断念した。バサラとミレーヌの喧嘩は、そう珍しいことではない。歌いたいときに歌う、と公言するゴーイングマイウェイな彼と、バンドを有名にしたいと願い、協調性を重んじる彼女とは、対立することが少なくなかった。たいてい、バサラの行動や言動を我慢できなくなったミレーヌがバサラを叱りつける、といったパターンで、それでもミレーヌが我慢をしたり、レイがバサラを諭したりして、結局はいつも通り絶妙な相性で、何事もなかったかのように再び歌い出すのだ。今回も同様、ミレーヌは明日にはけろっとした様子で現れるだろう、とレイは踏んでいた。バサラだってそこまで根に持つタイプではない。レイは、今日の練習はもう終わりだ、とバサラとビヒーダに声を掛ける。明日には二人の機嫌が良い方向に向かっていますように、と祈りながら。
「バサラ、ミレーヌが来なくなって今日で3日目だぞ。ミレーヌの家に行ってみたらどうだ。」
レイはバサラの機嫌を損ねないように、慎重に提案する。レイの願いも空しく、ミレーヌはあの日から3日、姿を現わさなかった。これ以上長引けば、バンドの活動にも支障を来すことになる。彼女は大事なベーシストであり、ボーカルでもあるからだ。
「なんで俺がそんなことしなくちゃなんないの。」
バサラの声は聊か不機嫌だった。だがレイは構わず話を続ける。
「お前だって、ミレーヌがいないと困るんじゃないのか。週末にライブだってあるんだ。それに、もしかしたらミレーヌに何かあったのかもしれない。ほら、前にミレーヌの家の近くでバンパイア騒動があっただろう。」
バンパイア、という単語に、バサラは微かに反応する。なんだかんだミレーヌにそっけない態度をとっていても、バサラはミレーヌのことを心配しているのだ。子守だとかガキの面倒、などとぼやきながらも、メンバーの一人として、女として彼女を大切に思っている。以前ミレーヌがバンパイアに襲われた時も、プロトデビルン出撃にもかかわらず彼女を助けに向かっているし、世の中に大勢いるであろう、下心を持つ男、という名の吸血鬼に襲われたときも、同様であった。
わかったよ、とバサラは渋々そう言うと、壁に立て掛けてあるアコースティックギターを肩に担ぎ、部屋を出ていった。
「謝ってこいよ、バサラ。」
と、レイは戸が閉まる前に彼に声を掛けた。その言葉が彼に届いたかどうかはわからなかった。バサラが謝るなんてことはないとは思うが、とレイは苦笑する。だがミレーヌの不在によっていつもより覇気のないバサラをそのままにしておくことはできなかった。ボーカルが一人は不在、もう一人は不調、なんてことになれば、アキコからお叱りを受けてしまう。それは避けたかった。なにより、素直にならない二人の姿は、周りの者たちをやきもきさせるのだ。
(退屈…みんな…何やってるんだろ。)
ミレーヌは薄手のキャミソールと裾にフリルのついたショートパンツ姿というラフな部屋着姿で、一人寝には少し大きめのベッドに横たわる。思いきり啖呵を切ってアクショを飛び出した3日前。バサラからの謝罪は期待していなかったが、メンバーから何も便りがないことに寂しさを覚えた。ミレーヌは寝そべりながら、あの時の自分の行動を回想する。いつもだったら小言をひとつふたつ漏らして我慢できていたバサラの我儘が、なぜだかあの日は辛抱ならなかった。どうして、我慢できなかったのだろうか。だが、自分が悪い、とは全く考えてはいなかった。どうも上手く付き合うことのできない手前勝手なボーカリストのことを考え、溜息をつく。すると心なしか元気のない様子のグババがミレーヌの頬にすり寄る。己を気遣ってくれているのだと気がつき、ミレーヌはグババに微笑みかけ、彼の頭を優しくなでる。以心伝心することのできるグババとミレーヌは、幼いころからの気の置けない親友のようなものであった。ミレーヌはグババに向かってバサラへの愚痴を吐露した。
「バサラったらいつも一人で歌ってると思って!あたしたちはグループなのよ?!…自分勝手。自己中。すぐにどっか行っちゃうし、遅刻もするし、ライブの途中で曲順変えるし。リズム無視して、一緒に歌ってるあたしのことなんか全然考えてない!」
心の奥に燻っていた感情を吐き出すと、気持ちを整理することができた。それと同時に、一方的にアクショを飛び出してしまったこと、無断で練習をさぼってしまったことをミレーヌは後悔し始めた。迷惑を掛けてしまった。レイに、ビヒーダに、そして、バサラにも。バサラのことを許したわけではなかった、だが、彼らを恋しく思い始めたのは確かだった。しばらく考え込んでいたミレーヌの耳に、馴染みのある歌声が聞こえてきた。ミレーヌは自宅のすぐそばで聞こえるらしいそれを、耳を澄ませて聴き入る。
「…!!バサラの声だわ!!」
ミレーヌは、慌てて窓を開け、外を見下ろすと、家の前に立ち、ギターを片手に歌っているバサラが見えた。
(ちょっと!こんなところでなに歌ってるのよ!)
彼がところ構わず歌い出すことを、ミレーヌは十分承知していたが、実際に自宅の前で歌われるとは想像もしていなかった。一応、着実に名をあげているバンドのメンバーである。このようなところで歌っていては目立つし、下手すればミレーヌの住処をばらすことにもなりかねなかった。
「バ、バサラっ!」
ミレーヌが思わず声を掛けると、それに気づいたバサラは上を見上げた。だがバサラミレーヌに目線を合わせたまま、今度は彼女を見つめながら歌いづつける。歌うことをやめない彼の様子に、ミレーヌは焦り、急いでキャミソールの上にショッキングピンクのパーカーを羽織って玄関へと急ぐ。ゆっくりとドアをあけると、そこには歌い続けるバサラの姿があった。
「…中、入ったら。」
ミレーヌが促すと、バサラは素直にそれに従った。自室に通し、コーヒーを淹れた。無言でコーヒーを手渡し、椅子に腰掛ける。バサラからの言葉はなかった。沈黙に耐えかねて、ミレーヌから言葉を切り出す。
「何しに来たのよ。」
「別に。グババの様子を見にきただけだよ。」
「あっそ。グババは元気ですけど。」
会話が続かなかった。刺すように耳を通り抜ける無音が、痛い。ミレーヌは、なぜバサラがわざわざ自分を訪ねてきたのかが分からなかった。本当にグババの様子を見にきただけなのか、そう考えると彼に対する怒りが再びふつふつと湧き上がる。長い沈黙を破ったのは、バサラだった。
「おい」
バサラの問いかけに、なによ、とミレーヌはそっけなく返す。
「もう戻って来ないつもりなのかよ。」
「そーね、辞めてほしけりゃ辞めてあげるわよ。その方が誰かさんにとっては好都合よね。音楽性の不一致が解消されるんだから。」
バンドを辞めたい訳ではなかった。しかし苛立つ感情に任せて余計なことまで口にしてしまう。
「そんなこと言ってねぇだろ。」
「じゃあ、なんなのよ。」
「…戻って来いって、言ってんの。」
バサラの予想外の言葉に、ミレーヌは驚いて目を丸くした。まじまじと彼の表情を観察する。いつも自信たっぷりで、ミレーヌをからかうような、悪戯な笑みを浮かべる彼は、今日は心なしか落ち着かないような、困ったような顔をしていた。時折無造作に頭を掻き、窓の外を所在なく見つめたりした。
「それって、あたしが必要ってこと?」
ミレーヌの問いかけに、バサラの返事はなかった。しかし、ミレーヌにはわかっていた。バサラは自分のことを必要としてくれているのだ。今日ここに来たのも、辞める、といって練習場を飛び出してきた自分を呼び戻しに来たのだ。ミレーヌは嬉しくなり、バサラに向かって笑顔を浮かべる。
「しょうがないわね、こんな我儘で自分勝手なバサラに合わせられるメンバーなんて、この先ずっと探したって、あたしだけだもの。」
いつもの明るい口調でそういうと、バサラもミレーヌに向かって優しく微笑んだ。
「…そうかもな。」
バサラらしくない台詞に、ミレーヌは少し驚いた。いつもより素直じゃない、とからかうようにバサラに言うと、うるせぇ、と額を軽く小突かれた。
帰路につくバサラを送ろうと、ミレーヌは外へ出る。
「バサラっ!また明日ね!寝坊するんじゃないわよっ。」
ミレーヌは眩しいほどの明るい笑顔でバサラに呼びかける。ホログラフに映し出された茜色の夕日が、ミレーヌの髪を照らす。頬にかかる髪と、夕日が生み出す陰影が、彼女の表情をいつもとは異なる、少し大人びた印象に見せた。バサラは一瞬、ぎょっとした表情を浮かべ、困ったように頬を掻くと、ミレーヌに背を向けてひらりと手のひらを翻し、日の沈む方角へと歩いていった。
帰宅したバサラにレイが結果の報告を促すと、戻って来るんじゃないの、と彼はそっけなく答えた。しかし、いつもより若干落ち着かないような、それでいて少しうれしそうな彼の様子に、長年の付き合いであるレイは素早く気づいた。傍目から見たら常と同じであろう、だが、レイから見ると、今日の、というよりミレーヌ宅から戻ったバサラは、少し雰囲気が違っていた。
「何か、あったのか。」
レイがさりげなく訊ねると、バサラはレイを不思議そうに見つめたあと、いや、と答えた。しかしその表情は、普段の彼より、幾分穏やかに感じられた。
鼓動は思うより正直で