date:2009/02/13
ジャンル:バサミレ
その沈黙の意味は「Yes」?
「レイ!」
ドアが開くなり、聞こえてきたのはバサラの声だ。
練習場で機材のメンテナンスをしていたレイは、その声に、ドアの外を身を乗り出して見る。モノで埋め尽くされた入口付近は、レイの視界を阻んだ。そこにいたバサラは両手に何やらたくさんのものを抱え、更に入口を塞ぐ大きな塊の前に行く手を阻まれ、立ち往生していた。レイはすぐに状況を理解し、一人納得すると、入口を塞ぐそれをどけ、バサラを中へと招き入れた。
「すごい量だな、バサラ。ここに来る途中で渡されたのか。」
バサラは、ああ、というと、両手に抱えたたくさんの包みを無造作に床へ下ろす。色とりどりに美しく包装された包みは、ゆうに50個以上はあるだろうか。よく両手で全て持つことができたな、とレイは思わず感心してしまう。
「なぁレイ、なんなんだ今日は。」
バサラが少し疲れたようすで訊ねる。
「忘れたのか?今日はバレンタインだろう。お前さんが来る途中で渡されたのはチョコレートだよ。ドアの前のチョコも、今朝アキコのところに届けられたもので、さっきここに運んできたんだ。」
去年も教えただろう、とレイは呆れながら呟く。この男はそのようなイベントごとにはめっぽう疎いのだ。
2月14日にチョコレートを女性が男性に贈る習慣は、シティ7にもある。
デビューする前だった去年は、コアなファンからの数個の贈り物で済んでいたバサラだったが、一躍有名になった今年は、FIRE BOMBER名義や、バサラやレイなど個人宛ての大量のチョコレートが彼らの所属するアキコリップスレーベルの事務所に届けられた。レイは先ほどアキコがアクショへやって来た際、小型のトラックの荷台に溢れんばかりに積み上げられたチョコレートに半ば呆然としたばかりだった。
バサラはようやく思い出したかのように、あぁ、と呟いた。面倒くさそうに頭を乱暴に掻くと、どーにかしておいてよ、とだけ言って、自分の部屋に戻ってしまった。
「どうしろっていうんだ…」
山のように積み上げられたチョコレートを目の前にして、レイは苦笑いするしかなかった。
廃墟のガレキの下に車を停め、ミレーヌは車のドアを開ける。
両親の新婚旅行の際に購入したらしいミレーヌのアンティークなオープンカーは、ガレキの砂埃ですこし色がくすんでしまった。駐車する場所を変えたいと常々思っているのだが、アクショの治安の悪さと、しつこくつきまとう護衛たちの存在を懸念して、しかたなくいつもこの場所に駐車してしまう。ミレーヌは助手席に置いてある薄いピンクの紙袋を大切そうに手に持つと、肩に乗せているグババに小さく微笑んで、いつもより足早に練習場へと向かった。
「レーイー!」
ミレーヌは元気よくドアを開ける。だがいつも見えるはずのレイの姿がない、というよりは見えなかった。いつもはドラムや機材だけの閑散とした室内が、今日はたくさんのモノであふれかえっていた。おお、ミレーヌか、という声だけを頼りに、ミレーヌは奥へと進む。行く手を阻む色とりどりの包みを丁寧によけていった。
「レイ!大丈夫?これチョコレートよねぇ…すごい量だわ。」
「ああ、さっきアキコの事務所から届いたんだ。これでも大分片付けたんだが。ほとんどがバサラへのチョコレートだ。本人は全く関心がないようだがな。」
天井近くまで積まれたチョコレートを見上げて、呆気にとられていたミレーヌだったが、あ、と思いだしたように手に持っていた紙袋の中に手を入れると、真赤な包装紙に包まれた小さな箱を取り出した。
「ハイ、これ、レイに。ハッピーバレンタインッ!」
ありがとう、と、差し出されたチョコレートをレイは笑顔で受け取った。ミレーヌも思わず顔が綻ぶ。レイはミレーヌが先ほどからそわそわとあたりを見回していることに気づくと、彼女に声を掛けた。
「バサラなら、部屋にいるぞ。」
ミレーヌはレイの言葉にびく、と身体を揺らす。
「別にっ!バサラに用なんかないもんっ。」
そういいながら、ミレーヌはドアを開けて出ていくと、彼の自室へと続く階段を上っていった。
微笑ましい少女の姿に、レイは思わず笑みを浮かべる。頑張れよ、と呟くと、再びチョコレートの山と向かい合った。
バサラの部屋を訪れるときは、いつも少なからず緊張する。今日は特にそうだった。胸の鼓動が速くなり、手に汗がしっとり滲む。ノックをする手がほんのわずかに震えた。ミレーヌはコンコン、といつものように2回ドアを叩き、彼の名を呼ぶ。すると、開いてるよ、といつもの彼の声が聞こえた。ドアを開け、梯子を登ると、ベッドに腰掛け、コーヒーを飲んでいるバサラが見えた。よ、と足を地面につけると、顔を上げたバサラと目が合う。なぜだか今日は、それだけで顔が熱くなった。
「今日、オフだろ。」
バサラが訊ねると、いいじゃない、といつものように返した。
「それにしても、すごいわね。」
「何が」
「チョコの山よ」
見たんでしょ、とミレーヌが言うと、ああ…と呟く。
「ったく、なんなんだ一体。どうにかしてんじゃねーの?」
バサラが面倒そうに溜息をつくと、ミレーヌはムッとして声を大きくした。
「なによ、その言い方っ。ファンのみんなに失礼でしょ!」
「んなこと言ったって、物事には限度ってモンがあるんだよ。どーしろってゆうの。」
バサラは盛大に溜息をつきながら立ち上がった。ミレーヌは思わず持っていた紙袋を背に隠し、ぎゅ、と握る。胸の奥が、ちくり、と痛んだ。
「…あっそ。」
ミレーヌはそう言うと顔を伏せる。確かに、彼が甘いものを好まないことは、以前一緒に受けた雑誌の取材で聞いていた。バレンタインというイベントに、関心がないということもわかっている。
だから、と甘さ控えめなものを選んだのに。
さりげなく、渡せたらと思ったのに。
(こんなにたくさんあったら、チョコって聞くだけでも厭になっちゃうわね。)
彼がたくさんチョコレートを受け取ることなど、とうにわかっていたはずなのに、積み上げられたチョコレートと、彼の億劫そうな態度を見ると、心が音を立てて軋んだ。ミレーヌが下を向いてしばらく黙っていると、バサラはふと気づいて声を掛ける。
「さっきからなに後ろに隠してんの。」
ミレーヌは一瞬たじろいだが、努めて平常を保ち、なんでもないわよ、とだけ答える。バサラは、ふーん、とだけ言い、少し考えるようなそぶりをみせたあと、なぁ、とミレーヌに話し掛ける。
「お前からは、ないわけ?」
言葉の意味を理解しかねて、ミレーヌは、なにが、と聞き返す。
「チョコ。お前のはないの?」
え、とミレーヌは驚いて、伏せていた顔を上げると、バサラは存外真面目な顔をしていた。てっきり、いつもみたいにからかうような、悪戯な笑みを浮かべていると思っていたのに。彼はミレーヌと目が合うと、ふ、と笑う。ミレーヌは小さな声で、弱弱しくバサラに訊ねる。
「たくさんありすぎて、迷惑してるんじゃ、ないの。」
「別に。レイが何とかしてくれるだろ。」
「甘いもの、嫌いなんでしょ。」
「はぁ?そんなこと言ってないだろ。」
「あたしのチョコが、欲しいの?」
「…。」
「ねぇ、バサラ」
「うるせぇな。あるならさっさと寄越せよ。食うから。」
幾度かの問いかけを重ねて、辛抱ならずにバサラはそう言い放つ。
「あるに、決まってるじゃない。」
ミレーヌは眼尻にうっすらと滲んだ涙と、かすかに震える声を隠すために声を張り上げた。ミレーヌはそろそろと袋から萌黄色の小さな包みを取り出すと、彼に渡す。バサラはそれをまじまじと見つめると、包みを破き、箱を開けて、丸みを帯びた光輝くチョコレートを口にいれた。
「甘ぇな。」
バサラは眉間に皺を寄せながら呻く。
「これでも甘さ控えめなの、用意したんだから。」
ぼそっと文句を言うバサラに、ミレーヌは頬を膨らませた。
「次は辛いやつ、頼むぜ。」
バサラはミレーヌを見下ろすと、にやり、と笑った。
バサラの放った、何気ない台詞。
次、という言葉に、ミレーヌの肩が震える。
約束された「次」という未来が、ミレーヌの心を甘い期待で満たした。
胸の奥から溢れ出しそうな感情が、ミレーヌをどうしようもなくさせて、嬉しい、という気持ちと、彼が愛おしいという想いが、雫となって瞳から零れ落ちる。
「辛いチョコレートなんてないわよ・・・。」
ミレーヌは未だチョコレートを食べ続ける彼の胸に、頬を擦りよせる。
あたりに充満したビタースイートの甘い香りと彼の纏った太陽の匂いが心地よかった。