date:2009/03/27
ジャンル:バサミレ
今日は離れてやらない
朝目が覚めると、そこは見知った彼の部屋だった。
ぼんやりと靄がかかったような意識を覚醒させるために上体を起こすと、脳天をじんと突くような痛みがして思わず頭を押える。昨夜、はめを外して飲み過ぎたせいだ、とミレーヌにはすぐ検討がついた。ミレーヌはひんやりとした己の手のひらを額に当てて、痛みを和らげようとする。頭痛の波が少しゆるやかになると、ふと、気がついてあたりを見回した。そこには部屋主であるバサラの姿がなかった。だがきっと彼が自分をここまで運んで来、自分をベッドに寝かせてくれたのだろう。残念な事に記憶には残っていないのだが、彼の面倒臭そうに溜息を洩らす様子が容易に想像できた。頭に浮かんだその光景のそれらしさに、ミレーヌはくすりと笑みを零す。すると彼の部屋のドアが開き、何者かが梯子を登って来る音が聞こえた。彼だった。
「おはよーバサラ。」
ミレーヌは明るい声で話しかける。その様子にバサラは何故か一瞬驚いた表情を浮かべた。しかしすぐに呆れたような顔に変わり、ミレーヌに近づく。
「ガキのクセに酒なんか飲むなよな。」
「バサラが運んでくれたの?」
「まぁな。ったく、結局俺がお前の子守するハメになったわけだ。」
言い返す言葉が見つからず、ミレーヌはうう…、と唸る。普段から子供扱いされることを嫌っていたはずなのに、大人の女性であることを認めさせたい、と思っていた当の本人に、借りを作ってしまった。ミレーヌは羞恥で頬が熱くなるのを感じながら、呟く。
「ほんとは強いんだけどな。つい飲み過ぎちゃうのよね。ねぇ、あたし変なことしてなかった?」
「…さぁな」
ミレーヌの問いかけに、バサラの動きが止まる。回答を探しあぐねて思案しているようだった。いつもと異なって割り切らない態度の彼を、ミレーヌは不思議に思う。
「なによそれっ!ハッキリ云いなさいよっ!」
「別に。なんもなかったよ。ホラ、もう練習の時間だろ。さっさと支度しろよ。」
「ちょっと、待ちなさいよっ!…もう。」
大きな声で文句を言うミレーヌを、バサラはいつものようにするりとかわして梯子を下りてしまう。ミレーヌは不満そうに頬を膨らませたが、バサラは相手にせずに部屋を出てしまった。一人彼の部屋に残されたミレーヌは、腑に落ちない、というような顔を浮かべたが、早くしろよ、という遠くから聞こえるバサラの声に、渋々梯子に手を掛けた。
「おはよう〜レイ、ビヒーダっ。」
練習場へ向かい、レイとビヒーダに声を掛ける。バサラは既にそこにいて、ギターの弦を弄り、チューニングを始めている。レイはハンドキーボードに向けられていた視線をミレーヌへと移す。ビヒーダは彼女の挨拶に応えるようにカウベルを鳴らした。
「おはよう、ミレーヌ。お前さん、二日酔いは大丈夫なのか?」
「うん大丈夫、ご迷惑おかけしました…。」
「まったく、酒は飲むなとあれほど言っただろう。もし何かあったらママさんや艦長に顔向け出来んだろう。」
レイに諭されては、ミレーヌも頷くしかなかった。はぁい…と弱弱しく返事をすると、昨夜から置いたままにしていたベースギターケースを持ち出して、留め具をぱちん、と開ける。すると刹那、ずき、とミレーヌの後頭部を鈍痛が襲う。それと同時にミレーヌの頭に、昨日の酔った際の記憶であろうぼんやりとした映像が見えた。ギターケースを開けるバサラを、自分がやや高い視線から彼を見下ろしている。すると、ちか、と目の前が眩しく光って、映像の断片は途絶えてしまう。なにか、大切なことを忘れてるような、と頭を押さえながら考え抜くが、調子が悪いのか、とレイが心配そうにミレーヌの顔を覗き込んだため、ミレーヌははっと意識を戻した。ミレーヌは、なんでもないの、とレイに明るくそう言って立ち上がる。再びギターケースを横目で見やるが、先ほどのフラッシュバックが起こることはもはやなかった。
ホログラフィが茜色の空へと変わり、もうじき夜がやって来ることを告げる。今日の練習はレイがアキコとの打ち合わせを行うため、早めに切り上げられた。ライブの段取り等のバンド運営は全てレイに任せっきりであるため、バサラ達がそれに参加することはない。バサラはさっさとギターを片付け、部屋へと戻ろうとしていた。いつもならここで解散となり、ミレーヌも帰宅の途に着くのだが、ミレーヌは思いついたようにバサラに声を掛ける。
「ねぇ、バサラ。あたしもこれからバサラの部屋に行ってもいい?新しいアレンジのとこ、声が合わなかったでしょ?もう一度やりたいのよ。」
「勝手にしな。」
バサラのぶっきらぼうな返事も、彼の性格からすればかなり前向きな肯定を意味する。近頃それに気づき始めていたミレーヌは、彼の返答に満足して、部屋へ向かうバサラの後に付いていった。
「だから、ここは楽譜どおりに歌ってよ!二人で合わせるの難しいとこじゃない!」
「そんなの、その場その場で変わるモンだろ。客のテンションと俺のノリで決まるんだよ。」
「アンタの気分なんかわっかんないわよ!」
「俺のハートを感じればいいだろ。そうすりゃ、自然と声も合うさ。」
一向に意見のまとまらない様子に、ミレーヌは呆れかえって言葉を失ってしまう。ライブの本番中に、彼の独断で曲順が変わったり、今までにないようなアレンジをしてしまうことは、ミレーヌの悩みの種であった。どうにかバサラに合わせようと努力をするのだが、それでは完璧なパフォーマンスを観客に魅せることはできない。幾度となく彼の我儘を指摘しては言い合いになっているのだが、それは改善されることはなかった。結局、最後にはミレーヌが根負けしてしまうのだ。今回も相変わらずの自分勝手な彼に、ミレーヌは小さくため息をつき、恨めしそうにバサラを睨みつける。すると、ふと彼の首元に目が移る。バサラの首の下、ちょうど鎖骨のあたりに、小さな傷がついていた。それによって傷の周り一帯が赤く色づいている。
「ん?バサラ。どうしたの?首のとこ。赤くなってるわよ?」
「ん?ああ。」
ミレーヌに指摘されて己の首元に目をやったバサラは、一瞬不思議そうな表情を見せたが、すぐに思いだしたように返事をする。
「猫にでも引っかかれたの?」
からかうようにミレーヌが訊ねると、バサラが呆れたように、はぁ…と息を吐いて、ミレーヌを見据える。
「お前、ホントに覚えてないの?」
「だから、今朝からなんなのよっ!?分かんないから聞いてるんじゃないの。」
「…別にいいけど。」
今朝の煮え切らないバサラの態度を思い出し、ミレーヌは少し苛立ったように彼の言葉に喰いつく。だが、いきり立つミレーヌを他所に、バサラは立ち上がり、頭の後ろで手を組むと、部屋を出ようとしていた。
「待ちなさいよっ!まだ練習だってあるのに…きゃぁっ」
立ち上がり、バサラを呼び止めようと手を伸ばしたミレーヌの脚が縺れて、かくん、と膝が曲がる。ミレーヌの小さな悲鳴に気づいて振り向き、バサラはよろけた彼女を抱き止めた。彼に身を委ねてしまっている状態に気づいて、ミレーヌの頬が紅く染まる。気恥しさに、身を捩って離れようとすると、バサラの匂いが鼻を掠め、温かい彼の体温が伝わってくるのを感じた。すると何故かふいに既視感に囚われる。デジャ・ヴだ。前にもどこかで感じていたのだろうか、彼の匂いとこの温かさを。すると突然、突き刺すような頭痛を感じ、その瞬間、走馬灯のように頭の中に映像が流れる。
――――昨日の夜の、ことだ。
酔っぱらって、寝ちゃって。
部屋までバサラが運んでくれたのよね。
それで、バサラが歌って、あたしが…
『すき、バサラ。あたし、バサラがすきなの。』
「あ…。」
昨晩の記憶が鮮やかに蘇り、ミレーヌは驚愕して思わずバサラから身を離した。ミレーヌの顔面が、熱に冒されたかのように真っ赤に色づく。火傷しそうに熱い頬を両手のひらでぴたりと包んだ。夢にしては、あまりにもリアルだ。鮮明に残る記憶は、本物だろう、ミレーヌは本能で感じとった。既に起こってしまったことだ、弁明はできない。ミレーヌは意を決してバサラに恐る恐る問いかける。
「あ、あの・・・。」
なに、とバサラがそっけなく返事を返す。
「首のそれ、つけたの、あ、あたし…?」
彼の返答はなかった。沈黙が閑散とした部屋中を包む。ミレーヌは更に言葉を紡ぐ。
「あたし、なんか言ってた…でしょ?ねぇ、バサラ。」
「酔っ払いの言ってることなんか本気にしないよ。」
彼の口調はいつも通りだったが、ミレーヌには冷たく突き放されたように感じた。
ずきん、と胸が痛む。酔った勢いで口にしたあのことばを、無かったことにしたい?多分、違うだろう。縮めたかった、年齢の差、心の距離を。近づきたい、追いつきたい、ずっと、傍にいたかった。すき、という想いに嘘はなかった。バサラとの間になにやら見えない壁を感じて、今まで口に出すことも、行動にあらわすこともしなかった、出来なかっただけで。ミレーヌは唇をきゅ、と引き締めて、じわりと浮かんだ涙を堪える。無かったことになんか、したくない。
「バサラだって!キ、キス、したじゃない!」
震える声をどうにか抑えながら、しどろもどろにそう言うと、おぼえてたのかよ、とバサラが小さく呟き、頭を掻く。
「俺も酔ってたからな。」
「バサラ、飲んでなかったじゃない…。」
バサラの言葉に、ミレーヌはしゅんと下を向く。今まで我慢していた涙が、ぼろぼろと零れて地を濡らす。
蒸し返さなければよかったのだろうか。
彼の背中は、まだ遠い。
傍らでいつも声を合わせて、同じ景色を見ているはずなのに、
距離を感じてしまうのは、どうして。
暫くの間、ミレーヌが下を向いて黙っていると、バサラが困ったような顔をしてミレーヌに近づく。
「なんで泣くんだよ・・・。」
「泣いてないわよ。」
視線を床に向けたまま、ミレーヌは言い放つ。バサラの溜息が聞こえた。すると、バサラはミレーヌの顎を掴んで持ち上げ、無理やり顔を上げさせる。何よ!と彼女が声を出すのと同時に、バサラはミレーヌの瞳に浮かんだ滴をぐい、と乱暴に指で拭う。予想外の行動にミレーヌが目を丸くしていると、バサラは顔を近づけ、そのままミレーヌに口づけた。そっと触れてすぐに離れるようなキスに、ミレーヌは状況を飲みこむことができず、呆然としている。驚きのあまり、先ほどまで止めどなく溢れていた涙も止まってしまった。
「バサラ…?」
「泣きやんだな。」
にやり、とバサラが笑うと、ミレーヌは彼から視線を外し、いじけたように呟く。
「どうして。どうせあたしをからかってるんでしょ。」
「こんなん、誰にでもすると思ってんの?」
はぁ?と気の抜けたような声を出し、バサラが不機嫌そうに言い放つ。
「…するじゃない。」
「してねぇよ。」
「してたわよ!」
「してないって!」
「レックスとかアキコさんとか・・・。」
銀スポに毎週のようにスキャンダルが掲載されているバサラを、ミレーヌは信用していなかった。ぼそぼそと責めるように文句を言う。
「はぁ?お前なに言ってんの?」
「自覚ないの?!…さいてー。」
ミレーヌの目に再び涙が浮かび、ぐす、と鼻を啜った。
「ああ゛ーお前!ゴチャゴチャうるさいんだよ。」
彼女の様子に苛立ったバサラは、ぐい、と彼女の肩を掴んで引きよせ、顔を近づける。
「お前は、どうなの?今日は酒、飲んでないだろ?」
「どうって…なにがよ。」
「俺に言いたいこと、あるんじゃないの。」
彼の言葉に、ミレーヌは赤面する。咄嗟に視線を外そうとするが、金色の彼の輝く瞳から、逃げることができない。うう…、と小さく唸って、逡巡した後、微かな声で、ぽつりと洩らす。
「…すき。バサラのこと。すきよ。」
バサラは、そうか、と満足そうに返事をして微笑んだ。
「ねぇ、バサラは?」
頷いたきりなにも言わないバサラに、ミレーヌが問いかけると、バサラは上を見上げた彼女の額にちゅ、と軽く口づけた。
「好きでもない奴に、こんなことするかよ。」
「ずるい、バサラ。」
ミレーヌはバサラに抱きつき、彼の首に腕を回した。
それに応えるように、己の腰に添えられた大きな手のひらに
自分の恋が、独りよがりのものでないことを知った。
「今日は、離れたくないな。」
そうミレーヌが小さく呟くと、ばーか、とバサラが言って、笑った。
彼の腕の中で、ミレーヌは歌を口ずさむ。
今度は、甘い恋人同士の歌を作ってみようかな
そう心に思いながら、ミレーヌは彼を抱きしめる腕を更にきつく絡めた。