date:2009/02/26
ジャンル:ミハクラ
ミシェルの両親が死んだ日も、ジェシカが死んだ日の夜も今日みたいな冷たい雨が降っていて、ミシェルはそういうとき、女の人肌を求めるから。でも、今日は。
「私が待っていてやるから。」
18、雨の日のお迎え
「今月は、5日、13日、19日、22日、と。」
クラン・クランはホログラムカレンダーを机上に開くと、青い傘のアイコンの踊る日付を目で追った。今月は4回か…クランはくるくると回るRainyDayの文字を見つめて溜息をつく。今日は4日。もうすぐ日付が変わる。明日、雨が降る。
フロンティア船団の天気は気象システムによって管理されている。四季を設け、暑い時期もあれば、凍えるような寒い時期もある。雨季は基本的に設けておらず、月に4,5日、最大で10日、雨を降らせることになっている。降水予報は、事前に市民に伝えられており、毎月規定の日に一定の量の降水が実施されている。もちろん、1年中過ごしやすい気候に設定することも可能であるが、船団とは、永住の惑星を見つけるまでの仮の住まいである。自然の気候に慣れ、市民の惑星への永住の意識を高めるために、あえて悪天候な日を設けるようにしていた。
クランは折り畳み式の傘を鞄に詰め込み、大学を出て、宿舎へと向かう。降水日は事前に知らされているが、何時に降るのか、という正確な時刻はその日にならないと分からない。降水の15分前になると、街のいたるところに設置されているモニターやスピーカーから、降水注意報が流れるようになっていた。どんよりとした雲が、フロンティアの低い空を覆う。クランはもうじき雨が降るな、とひとり呟きながら歩みを速めた。クランは雨の日が嫌いではなかった。空から水が落ちてくることは、自然の理であるし、それによって大地が潤い、多くの生物たちにとっての恵となる、と惑星科学でも当然のように教わることだ。だけど、とクランは黒々とした空を見上げ逡巡する。
ミシェルにとっては、そうではない。
あいつにとって雨は、思いだしたくない過去を、鮮明に蘇らせるものだから。
ミシェルの両親が亡くなった日、私はミシェルと久々に降ったどしゃぶりの雨を、窓越しに見つめてはしゃいでいたのを覚えている。いつもは機械的に、無機質に降る雨が、その日は何年かおきに起こる災害日だったらしく、普段の何倍もの雨が轟々と降り、フロンティアの大地を濡らした。だが、飽きることなくそれを見つめていた私たちに飛び込んできたのは、いきなりの彼の両親の訃報だった。私たちは声を出すこともできず、ただ窓の外の雨音が騒音のように耳に纏わりついていた。それからミシェルは、雨の日になると急にそわそわしたり、一人でいることを寂しがったりした。姉のジェシカにぴったりとしがみついて離れず、なにかにおびえているような目をしていた。
更に彼に追い打ちを掛けたのが、ジェシカの死んだ夜も、同じように雨が降っていたことだった。それ以来ミシェルは、雨の日にふらりとどこかへ出かけるようになっていた。何処か、というより、誰か、のところへ。ミシェルは雨が降るたびに女と肌を重ねていた。恋人なのか、それともそうではないのか。両親が死んだときに求めていた姉の暖かなぬくもりを、他の女に求めているのだろうか。私のところなど、訪ねてきたことも、無いくせに。誰でもいいのなら、何故私を求めない。いつも、いちばん近くにいたというのに。
下を向いて想いを巡らせていると、空からぽつ、と滴が落ち、地面に小さな染みを作った。クランは持っていた傘を開く。雨足がどんどん強まってゆく。クランも自然と早足になった。宿舎に着いて、食事を摂る。食後に催された小隊のミーティングが終わるころには、時刻は23時を回っていた。クランは課題のレポートを終わらせるために部屋に戻ると隊員に告げた。常よりやや元気のないクランの様子に、お姉さま、とネネ・ローラが不安そうに呼び止める。しかし、大丈夫だ、と優しく微笑むと、クランは部屋へと戻っていった。
部屋の窓を覗くと、まだ雨は降りつづいていた。
今頃、ミシェルは女の部屋にいるのだろう。彼のその行動は、いつものことであったが、やはりクランをやるせない気持ちにさせる。落ち着かない気持ちを静めようと、クランはゼントランプールへ向かった。巨人化し、パイロットスーツを身につけると、真暗闇の真空に浮遊する。遠くでちかちかと煌めく星々や、小さく見える船団ネオンの明かりが綺麗だった。思いつめたときや、不安なとき、任務に失敗したときなど、何かあるとクランはこの場所で星を見た。広大な銀河を見つめ、気持ちを切り替えてから射撃練習に入る。射撃場でのトレーニングも重要だが、実際に真空間で撃ってみなければ調節できない誤差もある。より実戦に近い環境での演習も必要であるからだ。武器を取りに行こうと、格納庫に入ると、足元を照らす程度のわずかな明かりの中で何者かが機体のコックピットに乗り込んでいた。整備班の誰かであろうか、とクランは顔を見ようと近づいて身を屈める。そこにいた人物に、クランは驚いて目を大きく見開く。
「ミシェル、どうしてここにいるんだ。」
「どうしてって…ここにいちゃいけないのかよ。」
ひどいなぁ、とミハエルはおどけたように言った。
「だが…今日は、」
「デートのこと?ドタキャンだよ、まったく、こんな日に限ってさ。独り寝が寂しくてね。」
「今も、雨の日が苦手なのだろう?だから空に出てきたのだろう?いつもは、女の人肌を求めて…」
「関係ないよ、それとこれとは。それに仮にそうだったとしても、クランには関係ないことだろ。」
クランの言葉を、ミハエルが遮る。口調こそ明るいままだが、どこか暗い感情を纏っているようにクランには感じられた。ミハエルの言葉に、クランはぎゅ、と拳を強く握り、歯を食いしばる。堪えていても瞳に涙が浮かび、視界がぐらつく。
関係ない、確かにそうだ。
ゼントラーディである私はミシェルと同じ目線に立つことさえできない。
抱きしめることも、愛し合うことも。
マイクローン化したとしてもあの有様だ。
あんな幼児になにができる。
私はまだ、ミシェルの射程範囲にも入りこめていない。
だけど。
涙を浮かべたクランに、ミハエルはぎょっとした表情を見せる。クランは構わず言葉を放つ。
「雨の日は、私のところに来ればいい!演習につきあってやるし、愚痴を聞いてやってもいい。課題も手伝ってやるし、飲みに行ったっていい!」
「おいおい、クラン、俺がいつも夜に女の子の部屋に行って愚痴を零したり宿題手伝ってもらってるだけだと思ってんの?」
クランはミハエルの意図することに気づいて、頬を紅潮させる。
「そんなこと、分かっている!だがゼントラーディの私にそんなことは、出来ない。お前とこの姿で同じ目線で向き合うこともできない。いざマイクローン化したって、あの有様だ。でも、私は、お前が、」
涙が頬を伝った。気持ちは胸の奥から湧き出るように溢れてくるのに、言葉にできない、してはいけないと思った。私たちの間にはその言葉はタブーだ。触れてはいけない。口にしては、いけない。ミシェルは私の気持ちなどとうに気づいているのに、避けている。その台詞を私に言わせないように距離を置いている。あいまいな関係のまま、互いに気持に蓋をすれば、幼馴染という均衡は保てるのだろうか。それを失ってしまったら、きっと二度と元には戻れない。そんなの、耐えられない。
クランはぐ、と口を噤んで視線を逸らす。伝えたい言葉を飲み込む。ミハエルは一瞬安堵の表情を見せたような気がした。クランの剣幕に圧倒され、ミハエルは刹那考え込むような仕草を見せて、そのあとしばらく何も口にしなかったが、突然、ふ、と笑いだして照れたように頭を掻き、クランを見上げる。
「そうだな。次は、そうするよ。愚痴、聞いてくれるんだろ?」
最後の放った自分の言葉を避けるように話すミハエルに、クランは少し胸がずき、と痛んだ。だがそれと同時に安堵していた。均衡は、保たれている。それよりも彼の言葉が嬉しかった。雨の日に、彼を支えることができる。それは、彼が他の女性に求めるような、艶っぽい過ごし方ではないけれど。
クランは温かい感情がが心の中を占め、思わず笑顔になる。緩んでしまった口元に気づいて慌てて唇を真一文字に結ぶ。そのようすをミハエルは微笑みながら見つめていた。その笑顔にどき、と胸が小さく波打つ。どうしても顔が緩んでしまう。
「そうだ。私のところに来い。雨が止むまででも、夜が明けるまででも付き合ってやるぞ。」
とクランは屈んでコックピットに顔を近づけ、ミハエルを見つめると、太陽のように眩しい笑顔を浮かべて彼の小さな頭を優しく指で撫でながら言った。ミハエルは照れくさそうにしながら、ガキじゃないんだから、と小言を洩らした。
時計を見ると、もうとっくに日付が変わっていた。雨も止んでいる。クランはミハエルと別れ、マイクローンプールへと向かった。
次の降水予定日には、笑顔で彼を迎えてやろう。
彼が寂しくならないように、過去の記憶を思い出さないように。
「私が、待っていてやるから。」
そう心に誓うと、クランはゆっくり目を閉じて、プールの心地よい水音に耳をすませる。
雨の日がいつもより待ち遠しく感じた。