date:2009/02/02
ジャンル:バサミレ
指折り待つ日
ミレーヌはバサラの自室にいた。
バサラのいない彼の部屋は音のない世界だ。
いつも窓枠に腰掛け、ギターを手に歌っていた彼の姿を思い浮かべる。
バサラのまわりにはいつも歌があって、あたしも一緒に歌って。なのに。
持ち主不在の殺風景な部屋は、もうミレーヌには見慣れた景色になってしまった。
バサラが旅に出て、4か月が経った。
プロトデビルンが遠い銀河へと旅立った後、バサラもそれを倣うかのように旅に出ることが多くなった。もともとバンド結成前までは、宇宙をギター1本で歩きまわっていた彼は、プロトデビルン達に自分の歌が届いたと確信すると、さらなる未知の惑星へと自分の歌を聴かせるために、バルキリーにも乗らずに黙って旅立ってしまった。つい数か月前まで滞在していたゾラの惑星へは、3か月間の旅であった。バサラは帰ってくるなり曲を作り上げると、1度だけシティ7でのライブを行い、またまだ見ぬ惑星へと思いを馳せ、引きとめるミレーヌをよそにギター片手にアクショを飛び出してしまった。
当初、ミレーヌは自分たちを置いて勝手にどこかへ行ってしまったバサラへの憤りと、彼のいない寂しさとで、ふさぎ込みがちであったが、ゾラから帰還して息つく間もなく、またどこかへと飛び立ってしまったバサラのことを、今となっては少しずつだが理解できるようになっていた。彼は鳥のように自由な男なのだ。ひとつの場所にとどまってはいられない。ただ羽を休めるために帰ってくる、その止まり木がFIRE BOMBERである限りは、ミレーヌはバサラの帰りを待ちつづけようと思う。以前のように、失踪した彼をバルキリーに乗って追いかけるような熱く燃えるような想いではなかった。だが静かに、包み込むように彼を想い、待ち続ける。
ミレーヌはちら、己の腕時計に目を向ける。時刻は23:30を回っていた。
(誕生日、終わっちゃう。)
バサラ、と届くあてのない声で小さくそう呟くと、ミレーヌはベッドへと倒れ込んだ。
今日はミレーヌの誕生日だった。
去年まで催していた豪華なバースディパーティを、今年はやらなかった。17歳の誕生日は、大切な人たちとだけ過ごせればいい。ミレーヌはそう考えていたからだった。昼間に両親とランチを食べ、夕方には、ガムリンといつもの日本食レストランでディナーに興じた。
ガムリンと別れた後、アクショに向かったミレーヌは、レイとビヒーダと3人で祝杯をあげ、今日は泊まって行くわ、と言い、自分の為にあてがわれた部屋ではなく、バサラの部屋へと向かった。
ミレーヌは、ワンピースのポケットから小さな布張りの箱を取り出す。ふたを開けると、中には眩い光を放つダイアモンドの指輪が収められていた。2年前のミレーヌの誕生日に、プロポーズの言葉とともにガムリン木崎が贈ったものだ。ミレーヌはそれを見つめながら複雑な表情を浮かべた。二つの小さな恋の間で揺れていたそのときに、彼のくれた指輪と愛の言葉。ミレーヌはもう2年も返事を先送りにしていた。あの時曖昧で、自分でもわからないほどに小さかった想いは、もう無視できないほど大きく、遠い星へと旅立ったあの男へと傾いているのに。しかしガムリンは、今日ミレーヌを食事に誘い、バサラの不在で心が揺れる彼女に、
「返事はいつでもいいですよ。指輪も、持っていて下さい。自分も、性急すぎたと思っていますから。」
そう言うと、ミレーヌの謝罪の言葉を遮り、差し出した指輪を決して受け取ろうとはしなかった。ミレーヌは彼の真直ぐな思いに一瞬心がざわついた。だがミレーヌは彼の言葉に何も言うことができなかった。ただ彼のひたむきさに心が痛んだ。
この寂しさの正体はなんなのだろうか。
心の満たされない空虚な感情はどこから来ているのだろう。
ぽっかりと胸のあたりに開いてしまった穴は、もう自分では埋めることができない。
自分のなかでバサラの存在が大きくなりすぎていた。
ガムリンとの出来事を回想しながら、ミレーヌはごろん、と寝返りを打つ。いなくなってから気付くなんてね、とミレーヌは少し笑った。
もしもふたりとぎれても
あたしの胸の中で君はいつまでも輝いてると…
そんな気がしたの
大きな恋と君の歌に包まれて眠る…
ミレーヌは小さく囁くように歌い始めた。
もともとアップテンポの原曲も、静かな夜にはしっとりとしたバラードへと変わる。殺風景な部屋で、ミレーヌは呼びかけるように歌う。誕生日の夜に、こんなところで一人歌っているなんて。このように感傷的な気持ちになってしまったのは今日が自分にとって特別な日だからだろう。もぉ…、と溜息のように曲の終りにつぶやくと、ミレーヌはゆっくり目を閉じた。目を覚ませば、いつものように朝になって、変わらない日常に戻ってしまう。
ミレーヌはかすかに聞こえるギターの音で目が覚める。時刻は午前2時を回っていた。ミレーヌは寝ぼけた目をこすり、ゆっくりとベッドから起き上った。
なんか今、ギターの音がしたような…夢かな。
ミレーヌは、んん、と大きく背伸びをした。
「よぉ」
ミレーヌがあたりを見回す前に、聞きなれた声がミレーヌを呼ぶ。振り向くと、遠く銀河の彼方へ旅立っているはずの男が、自室の窓の桟に腰掛けながらギターを弾いていた。ミレーヌは驚きで声がでない。
「…なんで。」
混乱した頭でようやくミレーヌが紡ぎ出した言葉に、バサラも聞き返す。
「なにがだよ。」
「…なんで、ここにいるのよ。」
言いたいことはそんなことではないのに。そんなことはどうでもいい。おかえり、淋しかった、と頭の中では素直な気持ちがあふれそうに次々と浮かんでくるのに、言葉にできなかった。
「なに言ってんだよ。お前が呼んだんだろ?」
バサラは不思議そうに答える。意外な返答に、一瞬言葉の意味を捉え兼ね、はぁ?とミレーヌが返す。
「俺に向かって、歌ってただろ?お前の声、うるせえから、様子見にきてやったんじゃねぇか。」
自分で呼んだクセによ、ったく。とバサラはため息をついて呆れ顔を見せた。ミレーヌは信じられない、と言った様子でバサラを見つめる。
伝わった?あたしの歌が?遠く離れたバサラのところまで?
ミレーヌは困惑したような目でバサラを見上げると、聞こえたぜ、お前の歌。とバサラはそう言ってほほ笑んだ。ミレーヌは、ベッドから起き上ると、瞬きをしたら瞳からこぼれてしまいそうな涙を隠すために、バサラに抱きつく。久し振りに感じる彼の温かな鼓動に安堵し、更に涙があふれた。
「誕生日だったの。もう過ぎちゃったけど。」
涙でくぐもった声で、少し拗ねたようにミレーヌが言う。大切な日だったのに。バサラがいなかったから。
「…そうか。」
バサラはそうとだけ言うと、ミレーヌを抱きしめたまま歌い出した。
耳をすませば
かすかに聞こえるだろう
ほら あの声
言葉なんかじゃ伝えられない何か
いつも感じる
あれは天使の声
「…バースティソングのつもり?」
ぐす、と鼻をすすりながらミレーヌが訊ねると、バサラは、さあな、とだけ答えた。なかなか泣きやまないミレーヌの頭を、ぽんぽん、と軽く撫でたバサラの仕草に、ミレーヌは少しむっとなる。
「あたし、もう17歳よ。子供じゃないもん。泣いてるレディーに男がすることっていったら一つじゃないのっ」
バサラはすこし驚いたように目を丸くしたが、いつものようににやりと笑う。
「17なんてまだまだガキだよ。」
そう言うとバサラはミレーヌの両頬を掴み、思いっきり左右へ引っ張る。
「いひゃい!もう!バサラったら!」
「へへ、泣きやんだじゃねえか。」
バサラは楽しそうに笑った。
(バサラったら、いつまでたってもあたしを子供扱いするのね!)
ミレーヌは、大人だもん、子供じゃないもん、というと、バサラの腕からするりと抜け出してベッドの上に腰掛ける。そして静かな真夜中の闇に溶けだすように甘く、誘惑するように、バサラを見つめながらしっとりと歌い出す。
2月の風はもぉ
はるか彼方→
消えてゆくわ…
まるで君の心さらうように
その声を思い出すの
星空にひびき出す
やさしい目は空を映し
愛を描いた
…
月の青白い光に照らされたミレーヌの姿は、幻想的でどこか艶めいていた。やや潤んだ瞳と、形のいいピンクの唇は、バサラと出会ったころと変わらず可憐であったが、その中には当時の彼女では出しえなかった大人の魅力が見え隠れしていた。
歌い終わると、どうよ、大人の雰囲気でしょぉ、と誇らしげな顔をする。バサラは何もいわず、少し複雑な表情を浮かべる。そして、「ふーん。大人、ね…」と呟き、そしてゆっくりとミレーヌに近づくと、腰を曲げて視線を落とし、ミレーヌを見据えた。金色の、太陽の光のように眩しく輝く瞳が、ミレーヌを捉える。バサラ?と不思議そうに訊ねるミレーヌの薄く開いた唇に、バサラのそれが重なる。ミレーヌの頭を掴み、深く繋げるように、捕えるようにキスをする。驚いて開いてしまった唇のわずかな隙間にバサラの舌が入り込み、角度を変えながら深く口づけて、ミレーヌの中に侵食してゆく。ミレーヌは歯列をなぞる舌の感覚にびく、と反応し、シーツをぎゅ、と握りしめる。頭を押さえていた手が、優しくミレーヌのこめかみのあたりをなぞり、艶めく髪を梳かすと、ミレーヌの身体が小さく震えた。一瞬唇を離し、呼吸する猶予を与えると、ミレーヌの吐息のようにわななく声が漏れた。そして再び深く繋げると、バサラは余韻を残すようにゆっくりと唇から離れた。慣れない行為の所為で、焦点の合わない瞳のミレーヌに、バサラはいたずらな笑みを見せる。
「大人扱い、されたかったんだろ?」
からかうようなバサラの声に、は、と意識が戻り、ミレーヌはキスの所為ですこし紅頬していた顔をさらに真っ赤に染める。思わず両手で顔を覆い、そうだけど…と恨めしそうに呟いた。指の隙間からバサラの姿を垣間見ると、バサラはミレーヌを見下ろして笑っていた。恥ずかしさと、バサラにしてやられた悔しさから、ミレーヌは俯いて、顔を覆う手を外すことができない。
「手、外せよ。」
「いや!」
ミレーヌは下を向いたまま首を横に振る。そんなミレーヌの様子を楽しげに見つめていたバサラは、しょうがねぇな、と呟くと、困ったような笑みを浮かべた。顔を伏せるミレーヌにそっと己の顔を近づけ、囁く。
「ほら、アレ、してやるよ。」
その言葉にミレーヌはぴく、とわずかに反応する。
「顔、上げねぇと、できないだろ?」
バサラはそう言いながら、ミレーヌの手首をそっと掴む。抵抗はなかった。手を外し、顔、上げろよ、と声を掛けると、ミレーヌは恐る恐る顔を上げ、バサラを上目づかいで見つめる。
「ひっでぇ顔。」
真赤に染まった顔と、羞恥と悔しさと、そして嬉しさをにじませた表情は、怒っているような、困っているような、微笑んでいるような複雑なもので、それがバサラの笑いを誘った。
「…なによ!自分が顔上げろっていうから!」
そうだな、とバサラは笑いながらそういうと、ミレーヌの前髪をそっとかき上げた。ミレーヌは、次に何が起こるかわかっていた。先ほどのような驚きもなく、少しうれしそうにバサラの動作を見つめる。バサラは、かき上げた前髪を押さえながら、ミレーヌの額に口づける。顔を離して、ミレーヌと目が合うと、バサラはにやりと笑って、
「こんなのが好きなんじゃ、やっぱりお前はまだまだガキ、だな。」
そう言うと、その言葉に反応して暴れ出すミレーヌの肩をとん、と押す。ミレーヌの身体をベッドに倒し、寝ろよ、仕事あるんだろと、言った。ミレーヌはバサラの言葉で、今がまだ真夜中であることを思い出す。そしてバサラはベッドに腰掛けると、静かに歌い出した。
外はまだ暗闇で、ホログラフィが朝日を映し出すまではまだ少し時間があった。ミレーヌはだんだんと瞼が重くなってゆくのを感じながら、バサラの歌声を子守唄に眠った。意識が遠のく寸前に、バサラがなにかを言って、自分の頭を撫でた、ような気がしたが、ミレーヌにはわからなかった。
ミレーヌは朝の眩しい太陽の光で目をさました。ゆっくりと起き上がりぼんやりとした頭で考える。
(そっか、あたし、バサラの部屋にいるんだっけ)
そうミレーヌが認識すると、は、と気づいて部屋を見回す。昨晩、確かにそこにいた、銀河をさまよう旅人は、もういなかった。窓枠に立てかけてあったギターも消え、いつものような静けさが戻っている。ミレーヌはしばし呆然となって、それから考え込んだ。
「まさか、夢だった、なんてオチじゃないわよね…?」
バサラの歌声も、唇や額に残る甘い余韻が夢だなんて。そんなことは。
ミレーヌは、昨晩の出来事が夢なのか現実なのか、判断し難くなり、頭を大きく振る。完全に覚醒した頭で、あたりを見回し、彼のいた痕跡を探そうとした。ふとベッドの横においてある椅子が視界に入る。ミレーヌは、あ、と思わず声を出した。そこにはバサラが愛用している、FIRE BOMBERのロゴが刻印された金色のギターピックが置いてあった。長い旅の間、ずっと使っていたであろうピックは傷だらけで、バサラが旅先でも変わらず歌を歌い続けていることを証明していた。
「プレゼントのつもり?」
ミレーヌは、微笑みながら、ばか。と呟く。
ミレーヌはピックを手のひらに乗せて大切そうに握りしめる。傷だらけのピックをまじまじと見つめ、何気なく裏返してみてみると、そこには読みづらい彼独特な文字が刻み込まれていた。
『Angel Voice』
ミレーヌは声に出して読む。まだ刻印は新しかった。最近彫ったものだろう。
天使の声?ミレーヌは首をかしげていたが、ふと思い出す。あの夜、バサラが歌っていた曲だ。旅で作り上げたのだろう、まだライブでも発表されていなかった。時々思い出したように口ずさんでいたけれど、人前で歌うことはなかった。ミレーヌたちもよく知らないバサラの新曲だ。ミレーヌは、バサラの歌声を思いだしながら、小さく声に出して歌う。
耳をすませば
いつも聞こえるだろう?
ほら あの声
あれは天使の声
バサラ、と心の中で呼びかけながら、思いだせる限りの、とぎれとぎれのメロディを口ずさむ。この歌声も、遠く離れた彼に届けばいい。バサラが、旅の途中で聞こえたのであろう、天使の声のように。
あたしの歌声を届けてくれたのも、天使だったのかな、なんて。
だったら最高のバースディプレゼントね!
ミレーヌはそんなことを思い浮かべながら、優しく微笑み、金色に輝く天使の刻印にキスをした。