twilight roof


twilight roof










ミレーヌは息を切らして木でできた古びた階段を2段飛ばしで駆け上がる。ふっくらとあどけなさを残した白い頬がほのかに気上がっていた。趣のある折り返し階段の踊り場の窓には、芸術的にも高く評価されるであろう色鮮やかなステンドグラスが嵌め込まれている。それは各階を繋ぐ階段の踊り場に一枚ずつ異なったモティーフで飾られているのだが、ミレーヌは特に2階と3階を繋ぐ階段に設けられた幾何学模様が美しいこのステンドグラスが一番のお気に入りだった。

この古びた旧校舎が取り壊しを免れ、こうして今でも残っていることの理由の一つに、この校舎の美しさが挙げられている。大正時代に建てられた西洋の建造物を模したこの建物の外観や内装は、ここが本当に生徒の学び舎として使用されていたのか、と疑うほどに細やかで美しかった。これ程のものならば、取り壊すのは惜しいと誰しもが思うだろう。それに、とミレーヌはぽつりと独りでに呟く。本当は知っているのだ。旧校舎の取り壊しを阻止したもう一つの理由、幽霊騒動の真相を。だがミレーヌはその真実を、実の母であり、この学園の理事長でもあるミリア・ファリーナ・ジーナス、または中等部、高等部の教師達、それから彼女の友人にすら秘密にしていた。彼女にとって、この旧校舎はかけがえのない自分の居場所でもあったからだ。騒動の所為でひっそりと人気のなくなってしまったこの場所に佇むそれは、ミレーヌの心を落ち着かせ、不思議と懐かしい気分にもさせてくれる。

折り返し階段を登り切り、3階へとたどり着くと、ミレーヌはさらに上へと続く階段を上り始める。この階段の先にあるのは屋上だ。今日バサラはここにいるだろう、とミレーヌは踏んでいたのだ。それは推論であったが確かなものであると彼女は確信していた。

屋上へと繋がる扉を開けると、薄暗く明りのない校舎を歩いていたミレーヌの眼は外界の眩い光に思わず細まる。外は、いつの間にか日が傾いていたようだった。沈んでゆく太陽と、茜色に染まった空が一面に広がっている。その光景の美しさに見とれていると、その数メートル奥に設置された手すりの傍に、男が一人寝そべっているのが目に留まった。ミレーヌは迷う様子も見せず、その男の傍へと歩み寄る。すぐ隣まで音を立てないよう忍び寄り、そうっと屈み込んでその顔を覗くと、やはり彼は軽音部のリードギター兼ボーカリストの熱気バサラであった。ミレーヌがいることにも気付かない様子で眠り続けるバサラの寝顔をじっと見澄ます。眼を閉じていると、意外とあどけない表情をしているのだと、ミレーヌはふいに気づいてくすりと笑った。彼の少し肌蹴た白いシャツの胸元に、胸がどきん、と音を立てる。しっとりと微かに汗ばんだ首筋をじっと見つめることができなくて、ミレーヌは目を逸らしそうになってしまう。何故そのような気持ちになったのか、ミレーヌにはまだ判らなかった。ただ最近彼を見ていると何故だか落ち着かなくて、心臓の音がうるさくて、気色ばむ己の頬の熱にくらりと眩暈がするのだ。彼の傍は心地よくて、ステンドグラスのようにきらきらと輝く瞳は眩しくて、己の名を呼ぶ彼の声は透き通ってミレーヌの胸に優しく沁み込んでゆく。ふと身体に触れたぬくもりがいつまでもその指に残っているのも、もっと触れていたいと物足りなさげにあたたかさを求めてしまうのも、春の肌寒さの所為にしたかったのにもう季節は夏になってしまった。五月病の症状であるとか、そうでなければ何かの間違いであるとか、自分に都合のよい言い訳を考えるのに必死だった。固く結ばれた己の中の小さな蕾をこじ開けるのはまだ先の話になるだろう。

眠っている時でもサングラスを掛けているのね、とミレーヌはそう思いながら彼のサングラスに手を掛ける。すると、バサラはそれに気づいてゆっくりと目をあけた。金色の瞳は昼間の照りつける太陽にも、沈んでゆく夕陽にもとても良く似ていた。うっすらと開けた瞳はそれだけできらきらと光る。

「ミレーヌ。」
「やっぱりここにいたのね!今日は天気もいいし風も気持ちいいから、絶対ここで居眠りしてるとおもったのよ。」
「寝込み襲うなんて、いい度胸してんじゃねぇの。」
「ばっかじゃないの。部室にいないから捜しに来たのよ。もう、手間掛けさせないでよね!」

いつも通りのやり取りなのだが、彼の飄々とした態度に思わず大きな声をあげてしまう。バサラは上体をゆっくりと起こし、大きく両腕を空に掲げて伸びをした。欠伸をひとつ零すと、ミレーヌの方を向いて、にやりと笑った。

「そういえば、バサラ、また昨日旧校舎に泊ったでしょ?幽霊が出たってクラスで噂になってたわよ。」

へぇ、とバサラはさほど驚いていないように、取って付けたような適当な相槌を返した。人事みたいに、とミレーヌはそんな彼の態度を諫める。先に述べた、旧校舎取り壊しが中止となった理由の一つである幽霊騒動の原因は、他でもない、熱気バサラにあったのだ。彼は時々、部活動の後旧校舎の第二音楽室に寝泊まりすることがあった。それは自宅へ帰る時間を惜しんで作曲活動に勤しんでいたりであるとか、ただ単に帰宅するのが面倒臭かっただけであるとか、理由は様々であった。深夜、彼の奏でるギターの音が真暗闇の中にぼんやり響いていたり、囁くような歌声が聴こえてきたりすれば、誰だって不審がるなり、恐怖に怯えたりするであろう。そのくせ驚くほどの身体能力を誇る彼は深夜巡回に訪れた警備の者や興味本位で旧校舎を訪れた生徒達をゆらりとかわして隠れ、その姿を彼らに晒すことはなかった。そんなことを彼は、中等部のころから続けていたのだ。同好会レベルの規模の小さい部では、部室どころか部としてすら学園から認めてはもらえない。軽音部が旧校舎で活動している、と知られていないのはその為だった。折角突発的に学園内ライブを開き、それなりに生徒達が集まって感心を引いているにも関わらず、その軽音部の部室が人気の全くない旧校舎なのでは生徒達は近寄ろうともしない。部員を増やして正式な部として登録したいと願うミレーヌの思惑も叶いそうにもなかった。当初しつこくそのことを責め立てていたミレーヌも、バサラに感化されたのか、旧校舎にまんざらでもない愛着を持ってしまい、今では文句を言うことも少なくなっているのであるが。

「仕上げたい曲があったんだよ。」
「そんなの、家に帰ってからやればいいでしょ!まぁた変な噂立てて・・・。」
「幽霊・・・ね。まぁその方が静かでいいだろ。俺はここが気に入ってんの。」

あっそ、と幾度となく聞いた彼の言い分をいつものようにさらりと流す。ミレーヌは手すりに凭れかかり、もうほとんど沈みかけている太陽を見つめた。バサラも立ち上がり、ミレーヌの隣に立つ。生温かい風が吹いて、ミレーヌのツインテールとセーラーカラーを靡かせた。美しい夕陽を眺めるミレーヌの顔を、バサラはじっと見澄める。仄かに夜の気配を滲ませる茜色の空と、彼女の桃色の髪は、まるで中和されて溶け合うようによく混じりあう。

「遅かったな。」
「何がよ?」
「ここに来んの。」
「日直だったの。ちょっと用事もあったし。バサラの居場所はすぅぐに分かったわよ。」

誇らしげに言い放つミレーヌに、バサラは小さく笑みを零した。

「なによバサラってば。もしかしてあたしが来るの、待ってたの?」

ミレーヌは悪戯な笑みを浮かべながら上目遣いに彼を見つめた。彼愛用のサングラスが光を反射して、その奥に光る金の瞳の色を窺い知ることができない。

「・・・そうかもな。」

さらりと口にした彼の言葉に、ミレーヌは一瞬呆けてしまう。え、とその言葉の意味を問おうと声を出すが、文章にならない単語の羅列が口からぽつりぽつりと漏れるだけだった。あたしに会いたかったの、冗談を言っているの、と頭の中では彼に対する問いかけがぐるぐると口から飛び出すのを待ちわびて旋回しているのに。紅潮する頬は、真赤な夕陽に紛れて気づかれないだろう。そうであってほしかった。思考がショートして、動かなくなってしまったミレーヌの様子に、バサラは苦笑い一つ浮かべた。しょーがねーな、と呟くと、彼はミレーヌの手を取ってぐいと引っ張って歩き出した。

「ホラ、部室戻るぞ。」

腕に感じた刺激にどきんと胸の奥が騒ぐが、ミレーヌはもう彼のなすがままに大人しくその手を引かれて歩くしかなかった。ミレーヌはただ、振り向くこともない彼の大きくまっすぐ伸びた背中をひたすらに見つめていた。




バサラが旧校舎を部室にするようになったのはちょうど新校舎が建設され、旧校舎が使われなくなったころからです。中等部にいたころかな。当時取り壊しするかしないかで協議が行われていた時にちょうどバサラが棲みついた(笑)訳です。バサラに取り壊しをやめさせようなどという他意はなかったとおもいます。時期が重なっちゃったんですね。

なんだかおわりと見せかけてまだまだ続きます。
ミレが一日を終えるまで、追いかけてゆきますよっ
またもやもやバサミレ…!!
うちのバサミレはあまりいちゃいちゃしません笑
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