climb over the fence


古びた木造校舎の観音開きの扉を勢いをつけて開くと、太陽が沈んでもう半刻以上経つというのに、空はまだほの暗く、ややグレーがかった紫色をしていた。暑いのが嫌、という理由で夏が来ることを憂鬱に感じていたミレーヌも、日が伸びて、冬季よりも学園で規定されている部活動時間が長くなることを嬉しく思っていた。冬季には日没早々に辺りが暗くなってしまい、中等部所属であるミレーヌは部活動をバサラ達高等部の生徒に比べて早く終え帰宅しなければならなかったからだ。そんな時、ずるい、不公平だわ、と駄々をこねるミレーヌに気兼ねしたのかそれともただ練習が面倒だったからなのか、バサラも彼女と共に帰宅することがあった。帰る方向が同じだから、と校則違反であることなど知りもしないとでもいうようにミレーヌをバイクの後ろに乗せ、自宅まで送り届ける。それ以来、季節が移り変わり、こうして活動時間の延びた現在でもときどきそれはあった。彼の運転する真赤なバイクには、いつのまにやらミレーヌ専用のピンク色の小さなヘルメットがバサラの意志とは関係なく積み込まれている。

「バサラ!早く!正門閉まっちゃうわよ!」
「帰ればいいだろ。俺はまだやりたいことあんの。」
「駄目よ!どうせまた旧校舎に泊まるつもりなんでしょ!?いい加減止めてよね。いつかママにばれるんじゃないかって、ヒヤヒヤものなんだからっ。」
「んなこと言ってお前、どうせ今日も俺に送らせるつもりなんだろうが。」
「ふふんっ。分かってるなら、ほらっ早く支度してよね!」

正門が閉鎖される時間になっても音楽室の窓の桟にもたれて一向に帰宅するそぶりを見せないバサラを、ミレーヌは校舎の外から窓を見上げて声を張り上げて呼んだ。バサラは、はぁ、とひとつ大きなため息をついて面倒臭そうに頭をがしがしと掻くと、待ってろ、と一言言い残して窓枠から離れていった。彼の説得に成功したミレーヌは、してやったりと得意顔を浮かべて彼が校舎から気だるげな表情をして出てくるのを待ちわびる。

「ほらぁ、バサラが早くしないから、門閉まってる。こっち来て。中等部に抜け道があるのよ。」

正門は既に閉まっており、周辺には警備員や今日の巡回当番なのであろう顔の見知った教師が何人か集まっていた。ここで彼らに見つかってしまえば、校則違反としてペナルティが課せられてしまう。閉門時間までに学園の外に出なかった場合、最悪部活動停止の可能性も考えられるのだ。理事長の娘として学園ではそれなりに優等生を演じ続けているミレーヌとしては、このようなところで自分の評判に傷をつけることは避けたかった。そういうわけで、と裏道を通るために踵を返す彼女に、バイクに乗るのはいいのかよ、とバサラが呆れたように呟くと、ばれなきゃいいのよ、とミレーヌはウインクした。何事も要領よく、それが彼女のモットーなのだ。

ミレーヌは、バサラの腕を掴んで、今日自分が放課後旧校舎へと向かった時と同じルートを辿りはじめる。高等部の新校舎の角を曲がり、中等部との境となっている背の高いメッシュフェンスの傍へと近寄ると、ミレーヌは躊躇う様子を微塵も見せることなく、己の背丈の倍以上もあるフェンスへと足を掛けた。

「・・・おい。」
「なぁにやってんのよ。バサラも早く!」
「お前いっつもコレによじ登ってるわけ?」
「そーよ。こっから中等部の中庭に抜けて、裏道から外に出るの。」

予想をしていなかった彼女の行動に、バサラは思わず声を掛ける。
近道になるから高等部に行く時も使ってるのよ、と自慢げに胸を張るミレーヌに、バサラは呆れたような表情を見せ、彼女の風にふわりと揺れるネイビーブルーのプリーツスカートを横目で掠めるように見やった。学園の規定しているよりはやや短く仕立てられたそれはミレーヌの若さ特有の健康的な色気を引き立たせていた。白いハイソックスと、それとは違う透き通るような白さが眩しい腿は、このスカートの長さが一番脚をキレイに見せるのよね、という彼女の言い分に頷ける程の十分な視覚的効果があった。だがそれは、彼女が普通の女学生としての生活を営むならば、という条件の基の話だ。ミレーヌは時々、突拍子もなく周りの目を気にせず行動することが度々あった。常識外れの行動は彼女がバサラを諫める主な原因でもあったのだが、彼に感化されたミレーヌも今ではそのようなアクションをしばしば起こして周りを吃驚させていることに本人は気づいていない。バサラを追いかけて高等部の裏庭の大樹によじ登ったり、旧校舎の少し足場の悪い埃まみれの部屋や廊下を走り回るのも由緒正しき学園の女子生徒たるものは、と彼女の母親である理事長のお叱りを受けても文句は言えないようなものばかりだ。そのような快活な少女の身につけるスカートにしては、その長さは目のやり場に困るものがある。特に、年頃の男子学生が多く、そしてミレーヌに対して恋慕の情を抱く者が多い(と言われているが本人は全く気づいていないようだ。)この学園の中では。

「お前、それだれかに見られたことないだろうな。」
「そんなヘマしないわよ。理事長の娘がこんなことしてるってばれたら学園新聞の一面飾っちゃうかも。」

バンドやってる時点でもういいネタになっちゃってるんだけどね、と付け足すミレーヌに、そうじゃないだろ、と呟く彼の声は届かない。バサラはミレーヌの足が地面を離れると、自身の足もフェンスに掛ける。常人離れした運動神経を持つ彼にとっては、自分の背丈より高い柵をよじのぼることなど朝飯前だった。軽く勢いをつけ、スリーステップで柵の天辺にたどり着くと、そこから向こう側へと飛び降り、体勢を全く崩すことなく着地する。バサラが振り返ってフェンスの方を見ると、ミレーヌはまだ柵を登り切り、天辺を跨いだところだった。

「バサラってばサルみたいよね。楽々登っちゃって。」

何も言わずにただにやりと笑う彼に、ミレーヌは思わずむ、と顔を膨らませる。

「なんだか悔しくなっちゃったわ。あたしの方がこの道たくさん使ってるのに。・・・よぉし!」

ミレーヌの威勢の良い掛け声にバサラが振り向くと、ミレーヌは先程彼がそうしていたように、柵の天辺から勢いをつけてそのまま着地しようと体勢を整えていた。やや常より動転しているような調子の声色でバサラが声を上げるよりも一寸早く、ミレーヌはふわりと先程から彼が気にとめていた濃紺のプリーツを翻し、飛び降りていた。しかし、その彼女の挑戦は、バサラの見たことろによると聊か無理があったように感じられた。柵から手を離し、脚を地に向けたところからまず身体の重心がずれている。その体勢では着地したときにバランスが崩れ、尻もちをついてしまうか、そのか細い脚を痛めてしまうだろう。そもそも女子中学生の未発達の筋肉や骨格からして、身軽さには何の問題はないにしても、男子高校生、しかも人並み外れた身体能力を誇る熱気バサラの行動を真似ることは、命知らずの行為であろう。

ミレーヌも、その行為の無謀さに気付いたのか、一瞬にして表情が緊迫したものへと変わる。飛び降りてからそれに気づくのだからその無鉄砲ぶりにミレーヌ自身も呆れてしまう。このまま着地したら脚痛めるだろうな、とかそれどころじゃ済まないかも、と気持ちが焦ると同時に、自分でも無意識のうちに脳裏を掠めたのは、ミレーヌをこの無茶へと駆り立てた彼の姿だ。



こういうときって、なんだか周りの時間がゆっくり過ぎていくように感じられるのよね。
あ、バサラあたしの方を見てる。・・・絶対呆れてるわ。
後でからかわれるんだろうな。サイアク。
あれ、違う。バサラ、焦ってる?バサラ、バサラ


「バサラ!!」



ミレーヌが思わずそう叫ぶと、バサラは瞬間ぴくりと身体を揺らし、それから彼女の元へと走って落下するミレーヌを抱きとめた。落下速度は一定であって、そこにはきっと僅かな時間しかなかったはずなのに、ミレーヌの頭の中は存外整理されていて、自分の失態に対する反省や、何故だかその瞬間のバサラの表情までもじっくり観察する余裕があったように感じられた。バサラに抱きとめられた腕の中で、ミレーヌは未だに状況が解っていないような困惑した表情を浮かべていた。

「お前、馬鹿じゃねえの。」
「うう…だって、あたしにも出来るとおもったんだもん。」
「その結果がコレかよ。」
「うう…返す言葉もありません・・・。」
「・・・ったくよ。ま、いーけど。こっちもいーもん見れたし。」

?マークを浮かべるミレーヌに、バサラは、なんでもねー、といつもの悪戯な笑みでそう言い返すと、ミレーヌを地面に下ろし、腕を頭の後ろで組んで歩きはじめた。ミレーヌは我に返り、待って、とバサラに声を掛ける。自分勝手な彼なのに、立ち止まりはしないが歩幅を先程よりも狭く、ゆっくりとした歩調に変えてミレーヌが追いつくのを待っている。長い付き合いだからこそ気づく彼の優しさに胸がじんわりと温かいもので満ちていった。次第に早まってゆく心臓の鼓動が落下のときのそれとは異なるということにミレーヌはまだ気付かない。


おちてゆくそのコンマ数秒の間の逡巡はバサラに抱きとめられて己の無事が確認できた安心感によって殆ど忘れてしまった。ただ頭に残るのはいつもの余裕綽々の笑みを少しだけ崩した彼の意外な表情だけだった。






あとがく

なんだかスパンが空きすぎてわからないんです!書き方が!
おかしなところは後日頭が冷えてから直します。
バサラが何をみたのか、わかっているとはおもいますが御想像にお任せします笑






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